【まるくわをかく「おどる」ワークショップ】ダンサー・マニシア インタビュー[後編] – 堺市文化振興財団
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【まるくわをかく「おどる」ワークショップ】ダンサー・マニシア インタビュー[後編]

 

人と人とのつながりを「踊る」――ダンサー・マニシア インタビュー[後編]

 

2022120日(木)から23日(日)の四日間、福岡からダンサーのマニシアさんをお招きして、堺市内の各施設、およびフェニーチェ堺でコンテンポラリーダンスのワークショップ〈まるくわをかく「おどる」ワークショップ〉を開催します。上手に踊れるようになるのではなく、踊りを通して新しい自分に出会えるような、のびのびとした場にしたい――そんなワークショップをリードするマニシアさんに、これまでのご活動やダンスへの向き合い方についてお話を伺いました(2021911日)。

〔前編はこちら

  
私は作品というよりも、そのプロセスが好きなのかもしれない

  ――本当にダンスを通して様々な出来事が起きていて、それぞれにダンスが人や社会をつないでいく様子が、私たちが日頃「ダンス」と聞いてイメージするものとはまるで違っていて、とても面白いと思いました。「なるほど、これがコンテンポラリーダンスなのか」という気持ちです。

  マニシアさんの踊るダンスは「振付ありき」ではなく、その場その場で、そのとき何ができて、何が起こるのかといったことが圧倒的に大事なんだと思います。他方でマニシアさんの活動では、完成したダンスには鑑賞するお客さまがいます。自身が踊り、コーディネートするダンスが鑑賞される作品でもあるということを、マニシアさんはどう意識しているのでしょうか。

 そこのネゴシエートが実は難しいところです。まずはそこに表現があり、美しいものがある。それを舞台という箱に乗せたときに「どうできるか」というのはとても考えます。光を使ったり、映像を使ったり、いずれにしても、その場の個々の表現をお互いに尊重するということが基本です。それを無視して、その場にいる人が自分をどんどん押し出すのではなく、お互いに表現し合っていいという雰囲気をつくるのが大切です。それを保つのは本当に難しいのですが、そこがまた楽しいところでもあります。

 

 ――一般的にダンスとは、言ってしまえば、観せる前提で作られたものを観てもらうというイメージが強いと思います。他方でマニシアの踊りには、その踊りを観る人がいようがいまいが、恐らくそこに参加している人たちにとって第一に、極めて具体的な、重要な意味があるのだと感じています。言い換えれば、「観せる踊り」ではなく「する踊り」です。ただその踊りは同時に「観られる作品」にもなるのであって、その接続をどのように意識しておられるのでしょうか。

  そのお話を聞いていて思いましたが、私は作品というよりも、そのプロセスが好きなのかもしれません。日本に帰ってきたばかりの頃、九州から東京へ行き、新宿ALTAの交差点のど真ん中で踊ったシーンを撮ったことがありました。その出来上がりではなくて、皆でそこへ行ってワイワイして、あの頃はよかった、ここは苦労した、と語り合うのも好きだったことを、今思い出しました。コミュニティダンスの作品を作っていても、作品自体がどうだったかよりも、何があっても開催に行き着いたことの方が、私にとっては参加者との宝物です。そしてそれは、みんながいるからできたことで、私一人ではできなかったことです。

  あるダンスのワークショップで参加者の一人が、「子どもが熱を出したので練習に参加できません」と連絡をくれたことがありましたが、そのとき私は、「では本日は何ができるか」と考えました。こられなかった人は、こられなかったことがシナリオだから、参加できたみんなで何ができるだろう、という感じです。重要な人が休んでしまったけれども、違うシーンを作ってみたら案外良くなって、その人が戻ってきたら今度はこうしよう、というように、みんなで発表の企画をつくっていくのは、ワクワクしかありません。みんなで作ることができて嬉しい、それでお客さんが感動してくれるというのは、とてもいいことだと思います。

  障害者とずっと作品を作ってきて、最初は『頑張っていますね』というアンケート回答が多かったのですが、最近では『これは何だ』『新しいですね』と言われるようになってきたので、時代が変わってきたなと思います。見る人が、これもありだというふうに教育されてきています。障害者だからこそできることを見つけるときがきたんじゃないでしょうか。また、障害者に関わったダンサーたちがクラシックバレエなど自分の世界に戻っていくこともあるのですが、その後の公演を観に行くと、非常に人間が変わっているのに驚くことがあります。最先端のバレエ表現者になっているダンサーもいれば、テクニックは変わらないけれども、波動感が生まれたダンサーもいます。そういうのを見ると、コラボレーションしてよかったと思います。

  芸術に携わっていくには、人が人であることが重要なのかもしれません。そこを忘れて自分はプロ一本だという人もいて、もちろんそれで素晴らしい踊りをする人もいますが、私の興味があるのは、人と人のつながりです。

  ――私たちが携わる文化芸術の仕事でも全国的に、ソーシャル・インクルージョン(社会包摂)がキーワードになっていますが、問題なのは、障害者をはじめ、社会的に不利な立場にある人たちに、“よい芸術”を見せてあげることで「いいことをしている」という態度で授業やワークショップを考えてしまいがちなところです。「してあげる」というニュアンスが漏れ出ていて一方通行のように感じられて、大変危なっかしいと思います。

  その中でマニシアさんの活動は、その瞬間、その場のみんなには/みんなとは何ができるか、そこで何が作り上げられていくか、という創造的なライブ性への意識があります。それは何よりも参加する人たちを信じているからできることで、それこそがまさしくコンテンポラリーなのだという印象を受けました。

  授業やワークショップを作る人は、実際にご自身も一緒に参加してみないと駄目です。私自身も学ばされる時がありますが、ワークショップにくるのが初めてで踊ったことのない人でも、私以上に知っていることがたくさんあるような人はいます。例えば、以前経験したペアでダンスを作るワークショップでは、手を合わせる振り付けの時にペアの相手から、「合わせる瞬間が大切なのでは」と言われたことがあります。その彼は「手を合わせるのがうれしいところだとしたら、このスピードではない。ここからスローモーションでどう交わっていくかだ」と言いました。そんなこと、考えたこともありませんでした。人とクリエイションをするというのはこういうことだと思います。誰とやっても現場ではこういうことが起こるということを、授業やワークショップを作る人には知ってほしい。言葉ではなくて、その人たちが感じていることを自分も感じるという経験をたくさんしてほしいと思います。

 

 

 

恥ずかしがり屋でも大丈夫。私が踊らせてあげる!

 ――私たちもこの1月に開催するようなワークショップに、是非多くの人に参加してもらいたいのですが、いろんな人に声をかけて返ってくる言葉で多いのが、「恥ずかしい」です。運営に関わるスタッフであっても、「一度中に入りなよ」と声をかけてもそんな風に返す人がいます。そんな人たちに、いやいや、あなたの思っているイメージとは違うよ、と準備してきたワークショップの魅力を伝えるにはどうしたらいいか、いつも悩んでいます。

  私自身、小さい頃は非常に恥ずかしがり屋でしたので、気持ちはとても分かります。反対に私の母はとても積極的で、できないと叩かれるのですが、そうすると、もっと殻に閉じこもってしまい、恥ずかしくて仕方ないという子ども時代でした。

 あるワークショップが始まる時間、いきなりドアの前で泣く子どもがいたことがありました。かつての私自身を思うととても気持ちがわかるのですが、では今の私はどうするかというと、まず私がその子の仲間でいようとします。「輪に入るのはいつでもいいよ」と声掛けだけをして、他の子の様子も見ながら、ちらっとその子のことを気にかけつつワークショップを進めるのです。これは「あなたとつながっているよ」というメッセージです。

 また、障害のある子の通うデイケアでも定期的にワークショップをしているのですが、ある日一人の子が、雨にぬれたからといって泣いて、なかなか入ってきません。きっと恥ずかしいから入ってこられないのだろうと思い、「見ているだけでいいよ」と言ってそっとしておいて、しばらくすると何だかにこにこするようになったので、「あら、笑ってるじゃない。次もし踊れるんだったら、またおいでね」って声を掛けてあげました。

 やっぱり誰でも急には無理なので、まずは存在を認めてあげることです。学校では「私は絶対に踊らないよ」っていう子でも、ここだったら踊れるっていう居場所が絶対に必要だと思います。でもやっぱり、みんな恐れているんですよね、自分を出すということに対して。私だって今カメラが回っていてとても緊張していますよ!なので、怖いのはみんなそうだよって思ったらいい。目の前でかっこよく踊っているダンサーを観て、この人たちもきっとドキドキしてるんだろうなぁって思えるようになれば、人のことを分かってあげられるというか、失敗してもいいやって気持ちになれるんじゃないでしょうか。

  ――ひょっとすると実は大人の方が、私の踊りなんか人様に見せられない、なんて言ってしまいがちなのかもしれません。そしてそんな大人は、子どものやることでも、これは人様に見せるようなものではない、とか言ってしまうことがあります。それは子どもの可能性に対する縛りになっているのではと感じています。

  ですが、そういう人たちこそ、障害のある人たちと関わることできっと変わっていくと思いますよ。養護学校とか特別支援学校とかって、昔から行ってはいけない、入ってはいけないみたいな雰囲気があって、私はいつも「どうしてだろう」と思ってこういうダンス活動を続けてきたのですが、長い間、「かわいそうな人たちと頑張っているね」って言われることがほとんどでした。2006年くらいまでそんな感じでした。でも、今回のパラリンピックでもいろんな変化が感じられたと思います。やっぱり、交わり合う、接しあうというのがキーになってくるんじゃないでしょうか。一緒に踊れば、きっとその人は変われますよ。

 

 ――「常識」に囚われないで、そのままでいい、やれることをやるだけで十分面白いし素敵だということが、もっと受け入れられてほしいと切に思います。

  そう、今のままでいいよ、ってね。そこで舞台芸術がきっと役に立つんだと思います。そして、活動が広がってきて舞台スタッフも分かってくると、「じゃあそこのシーンは影にする?」みたいな、そういう会話が生まれてきます。本当に、みんなで完成させました、みたいになるといいなって思っています。

 

 ――たくさんお話を伺うことができて、本当にありがとうございました。最後に、今回のワークショップに参加される方に対してメッセージをお願いします。

  はい、まず何といっても、恥ずかしがり屋でも大丈夫です!ということ。歩けなくても、体がそんなに柔らかくなくても大丈夫ですし、柔らかくないからとか、汚れるからとか、そんなのは全然平気、大丈夫です。私が一緒に踊らせてあげまーす!

 

 ――もう安心ですね!マニシアさんのダンスワークショップ、とても楽しみです。今日は本当にありがとうございました。

 

 

2021911日 フェニーチェ堺大ホールホワイエにて

インタビュー/テクスト:堺市文化振興財団 常盤 成紀
今野はるか
恒川 芳美

 

 

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